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腕自慢!小林の大工 | 出雲市で注文住宅・古民家再生を行う工務店|小林建設

腕自慢!小林の大工

伝統の技が、
新しい家づくりを支えています

現代にふさわしい性能と住み心地を追求した「夢ハウス」。その施工は、古くから大工たちに脈々と受け継がれてきた、伝統の技によって支えられています。

小林建設は古くから続いた大工の家系。三代目・小林喜義の薫陶を受けた大工たちが、いまもしっかりと小林の家づくりを担っています。同じ釜の飯を食い、ともに修業に励んだ仲間たち。いずれも腕前は折紙つきです。確かな技術と、仕事への誇りに支えられた仕事がいかに美しいか、彼らの仕事を見ればわかります。

 

伝統の技

 

高野 英美

 

お金じゃない。
どんな仕事を残せるか

山に木が立っているでしょ?100年経った木は100年もつと言われているんだよね。ただし、適材適所の使い方をしないとだめ。そのあたり、木の特性をちゃんとわかって、建てられる大工はいい大工です。昔の建物を解体することもあるんだけど、昔の大工はいい仕事をしてますよ。手間隙惜しまないし、納得するまでやるのが当たり前だったんだろうなあ。私に仕事を教えてくれた先代もまさにそんな人。お金じゃないんだね。どんな仕事を残せるかなんです。そんなだから、お金の面では損ばかりしていましたよ(笑)

 


 

木を見る目の確かさは
父親ゆずり

私の祖父は木挽きをしていました。木を見る目は確かでしたね。そんな影響があって、ものづくりが好きになったんだと思います。親方(先代)からよく言われたのは「お前は丁寧な仕事をしすぎる」ということ。でも性分だから仕方ない。家を建てるって、決して簡単にはできないんだから、お客さんが喜んでくれた方がいいじゃないですか。小林で育った大工は、全員いい仕事をしますよ。仕事には本当にみんな厳しいです。それは親方のおかげだよね。

 

矢野 薫

 


 

平井 終光

 

自分には
この仕事しかない
と思った

生れ落ちた家が古い家で、あちこち傷んでいたわけ。それで、ひとつ自分が新しい家を建ててやろうと思ったのが、大工になったきっかけです。入ってみて「ああ自分にはこの仕事しかない」と思いましたね。それくらい好きだった。修業?そりゃあ厳しいですよ。いまの人には務まらないんじゃないかな。でも、私にとっては面白さの方が勝っていたんでしょうね、きっと。人よりも早く本格的な田舎造りの家を建てました。小林じゃあそれが一人前になった試験みたいなものだったからね。

 


 

重いプレッシャーが
自分を育てる

こう見えても若い時は結構気が荒くてね。親方に盾突いて帰ろうとしたこともありました。その時は悩んだ末に考え直したんだけど、いま思うと戻ってよかったですわ(笑)。腰が据わってきたのは、まだ弟子の時分に親方が一軒任せてくれてから。もうプレッシャーなんてものじゃないですよ。眠れないです。大失敗もしましたしね。でもそれがいい経験になりました。つらかったことや悔しかったこともたくさんあるけど、そういう経験をいっぱいしたことが、いま自分の血肉になっていると思いますね。

 

石飛 雄二

 


 

神田 幹夫

 

同じ釜の飯を食った
兄弟弟子とは
息もぴったり

おじいさんが大工だったんです。子どもの頃はよく現場について行ってね。中学生の時、ハシゴを作ってみろと言われて作ったら、大工になれと言われた。本当は整備工になりたかったんだけど(笑)。小林に入って、先代に一人前にしてもらいました。厳しい人だったけどいい人でしたよ。大工を大事にしてくれましたもんね。同じ釜の飯を食って…。兄弟弟子とは喧嘩もしたし、一緒に悪いこともしたけど、おかげでいまも現場では息が合います。えらいもんですねえ。

 


 

理屈ではなく、
体で覚える仕事

兄弟弟子の中で、私が一番年下です。若い頃は朝、起きるのがつらくてね。「起きれーっ!」って、よく怒鳴られました。3年くらいしたら慣れましたけどね。いまはまた、木の家のよさが見直されているし、木を自在に扱える大工は希少価値だから、若い人がめざす仕事としてはいいんじゃないかなと思いますけどね。ただ、リクツではなく体で覚えんといけんのでね。我慢できるかどうかだね。自分としては若い人にどんどん挑戦してくれと言いたいです。

 

太田 寿人